真剣に生きすぎないための「遊戯」という考え方── 現実から目を逸らす逃避と、距離を取る遊びは別物だ

日常

いつもありがとうございます。keigoです。みなさんお休みの日はどんな時間を過ごしていますか?平日のストレスはそこで発散されいますでしょうか?現実のストレスから目を背けているだけの休日になっていませんか?

逆に休みの日もしっかり休まっていない休日を過ごされている方もいると思います。

今回はそんな仕事や現実と距離を取る、でも逃避にもならない「遊戯」という事について書いていきます。

あれこの感覚なんか好きかも。。。それがヒントになる。あなただけの「遊戯」

私のストレス発散というかやっててなんか楽しいな、面白いなと思う事は、料理です。正しく言うと、料理をしながらドラマやアニメも見ながらお酒も飲みながらお酒のあても作りながら晩御飯を作ることです。

これがちょうどいい忙しさというか、ご飯も炊いて、炊き上がる頃にメインも出来て、汁物も温めなおしてでも携帯で動画も見ているというマルチタスク。

この快感をもっと抽象度をあげて考える事が出来たら他の事や、他人にも応用が利くんじゃないかなと思って深くまで思考しました。

最初になぜこの作業が心地よいのかを考えた時に、

  • 程よく忙しい
  • マルチタスクが心地よい
  • 効率化されている

この3つをあげました。程よく忙しいって心地よいですよね。効率良く動けたら気持ち良い。

でもより自分の感覚を深めると、もちろん効率良くご飯を作れたらいいとは思いますが決してそこは求めてはいない。たぶんもしここを求めてたら、ご飯が出来上がった時に1番快楽のピークが来るはず。私の場合は作っている最中が1番楽しい時間であり、むしろ完成に近づくと寂しさまで感じる。

もちろんアニメやドラマも好きだし面白い。でもただそこにだけ集中して見ているよりもなんとなく流れているという感覚が好きなんですよね。

私が行きついた答えは、

全部が自分の手の届く範囲というのが良くて自分で焼いて、自分で味を決めて、見るものも選んで。

でも完璧じゃなくていい。

「世界をちょうどよく操ってる感覚」

自分で決めた献立を作り、動画を流し、お酒も飲みながら2口コンロの上に並べた鍋とフライパンの具材を確かめながら火元を調整する。時には味見も。

意識は散っているようでどこにも偏っていない。

料理とも流れている動画にも執着せず、こだわらない

今目の前にある現象と自分との距離がちょうどいいという事。

普段考えている仕事や悩みは出てこず、身体と感覚だけが淡々と役割を果たしている。

このとき生まれる快さは、達成でも効率でもなく、
執着が一段ゆるんだ状態そのものなのかもしれないなと。

仕事のストレスや家庭での悩みをふともやっと考えてしまう瞬間もあるかもしれないですが、目の前の事を行っていくと悩み(私の我)というものが出にくいんですよね。

動画も見ながら内容も頭に入れて。汁物の沸騰加減も見て、メインの焦げ付きも見て、味見をして塩を足したり、フライパンから鳴る音も聞きながら火の通りを確かめて、

要は五感フル活用+脳内もフルで使ってるわけです。悩み事をしている空きさえない。

そのおかげで何にも引っ張られないんですよ。

そして瞬間瞬間意識の対象を変えるから、全ての物事の距離が一定に保たれる。

その距離がすごく心地よい。そしてそれが遊戯です。

人間関係でいうと全員と良い距離感を保っている。綺麗な輪をつくっている感覚です。

この感覚がすごく大事です。

現実逃避はなぜダメか。逃避と遊戯の圧倒的違い

やはり今はスマホの中にストレス発散を託す人が多いのではないでしょうか。実際私もネトフリ、アマプラ、Hulu、YouTubeプレミアムとサブスクに入りまくりなのですが、一体私の遊戯と大体の方がしている逃避が何が違うのか。

最初に答えを言うと、

  • 現実が動いているか
  • 自分の意志で辞められるか
  • それをやった後スッキリするか

この3つが大事です。

とはいえ私も以前まではただごろごろしたり、今でも流行りの恋リアは食い入るように見るくらい好きです。たぶん平均してもこれだけサブスクに入ってますから見てる方だと思います。

でも実際携帯をずっと見てると疲れません?なんか休んだ感じがしないんですよね。かつ目は疲れるし眠りにくくなるし、時間ばかり奪われる。そのうちお風呂とかもめんどくさくなりますよね(笑)

そうならないように自ら意識的に変えるようにしました。

とはいえそういった面白いものに対して我々人間の脳なんて太刀打ちできるわけもありません。なので、今言った通り料理中や移動中のみに基本しています。物理的な区切りを作らない限り睡眠時間を削ってまで見てしまいます。

なので主体を身体におく事がかなり重要なわけです。

そしてもう一つ重要なのが現実が動いているのかという事。

現実が動いていればスッキリします。

お風呂は入るまでがめんどくさいけどお風呂を入った後は後悔しないじゃないですか。あれと同じ感覚です。ここでいう現実とは人間的な生活の事。

人間の生活なんてほとんどというかみんな同じなわけです。

起きる、食べる、排せつする、仕事や生成活動をする。寝る。かける時間は人によって違いますがどんな人であっても食べるし寝るしトイレするし風呂も入ります。

その現実が滞りなくできているのかが重要です。なぜならその現実が生きるという事ですから。

私の場合、料理をしながら動画を見るという事は食べるために作っている。なので現実は動いてますし、料理が出来れば動画視聴も物理的区切りがつくので主体的に辞めれます。

しかし、ただソファで寝ながら動画やSNSをスクロールしていると現実は動いていないし、自らが終わらせることは難しいです。

なにが言いたいのかというと現実を生きる、地に足をつけた生き方が循環しストレスや悩みを限りなく少なくできるのです。

自らの遊戯を見つけ現実をほどよく生きる

ぜひ自分の遊戯を見つけて欲しいと思います。

重要なのが、辞め時が分からないものは、遊戯になりにくいという事です。

遊戯か逃避かを分ける、一つの大きな基準は

それを自分でやめられるかどうか

辞め時が分からないものには、共通点があります。

  • 無限に続く設計(次の動画が簡単にすぐ流れる)
  • 終わりが評価や報酬に委ねられている
  • やめる理由が「疲れた」しかない

SNSの無限スクロール、動画の自動再生、数字を追い続ける仕事や創作。 これらは主導権を静かに奪ってきます。

遊戯は違う。 火が消える、歩き疲れる、片付く、暗くなる。 身体的・物理的な終わりがあります。

  • 料理をしながら何かを流す
  • 散歩しながら考え事をする
  • 掃除や手入れに没頭する
  • 焚き火や炭火を眺める
  • ドライブや一定リズムの移動
  • 評価を目的にしないラフな創作

共通しているのは、 現実を少しだけ整えながら、執着しないという事です。

料理もまずくなければOK、掃除も6割でOK。ただその時間、現実とちょうどいい距離に自分を置くのが大切です。

最後に

今世の中が厳しい状況が続きます。金銭的にも精神的にも余裕のある人はどのくらいいるのだろうと。でも大事な事はまずは心に余裕を持つことです。

現実なかなか変えれない事も多いしそういう時期や時間は必ずだれにでもあります。

そんな時こそ現実を否定せず、自分の心を壊さずに生き延びる技術が必要になります。

遊戯は逃げ道ではない。 立ち位置

現実から目をそらす逃避と現実と距離をとる遊戯は別物です。そしてこの遊戯する感覚が厳しい世の中を生き抜く最大の術だと私は確信しています。

時には現実逃避をしたくなる時もくると思います。

そんな時にこのブログを思い返して逃避ではなく遊戯の時間にして頂きたいです。

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