どうもけごです。
結婚して1年が経ちました。
新婚はいつまでなのかという定義で、
奥さんが旦那さんの帰りを待っている間は新婚らしいです(笑)
うちはまだ新婚だと信じたい。
さて今回は優しい人は損をするのかという事について書いていきます。
自分で言うのもなんですが私はかなり優しい。。たぶん
昔から優しいと言われ大人になりました。
小学生の時自分の名前の漢字の意味を親に聞く宿題で、
私の名前の漢字には「慶」という字が使われていて、姉には「優」という字が
使われています。
2人ともに「心」を入れて、心を優しく思いやりのある人に育って欲しいと願いつけたそう。
それを聞いてから自分は優しく生きなければならないんだと
小さいながら何か覚悟を決めた事を覚えております。
結婚して1年経ちある程度家事の分担が自然と別れました。
私は掃除、妻は洗濯、買い物、料理は4:6で妻の担当でしたが、
ここ数か月妻が作りたがらなくなりました。
でも前提としてやりたくない事はやらなくていいと言ってあります。
私はすべての家事をやる覚悟で結婚しましたから。
今現在は、9:1で私が作るようになりました。
そしてその後の片付けも私が引き受けております。
別に料理も片付けもなんの苦にもならないしむしろ好きなので、
普段は全然いいのですが、やはりちりつもですね
私はこういった性格なので、仕事でもちょっと無理してでも引き受けてしまうのです。
それが積み重なって、積み重なっていくと最後1日終えた時に
なんでこんな無理してんだろう。とたまに思います
優しい人が損をするってこういう事なのかなと
実際損をしているのか、そもそも優しいってなんだ?と疑う視点になりました。
そう考えるうちに、
私の行動は自己犠牲心であって優しさではない事に気づきました。
もっというと優しさの押し売り。
妻より家事をする旦那というものに酔っていた自分も正直いますし、
極論自分でやる方がはやいし綺麗だし、おいしいし。
そう思ってやっていたはずなのに、いつも間にかちょっとずつしんどくなっている自分がいる。
「自ら選んでやってる」状態から「やってあげている状態」になってたんですよね
この「やってあげている状態」に変わる時って絶対に他人からの目を気にし始めた時です。
好きでやっていたのに妻より家事をうまくこなす旦那というものに酔いしれ始めた瞬間です。
これが最近私がしんどくなってきてた理由だと感じます。
もちろん以前よりやる事は増え、自由な時間は限られてきました。
だけど一つ一つの家事は好きなんです。やりたいんです。
この純粋な気持ちのエネルギーで動く時はしんどくないんですが、
妻より遅く帰るけど妻より家事をする自分はかっこいいという承認欲求というか、
なんとも人間味が満載な理由から得るエネルギーを動く時ってなんかしんどいんです。
最初はなんとも感じないのですが、そのエネルギーの供給って長く続かないんです。
料理が好きだからする。掃除が好きだからする。
好きだからやるという理由だけだったらこれで完結しますよね。
むしろ料理をやるともっとエネルギーが上がる。
でも私の場合はどっと疲れが来る感じでした。
最初はいいんです。承認欲求は。
友達とかに話すときに自分が基本ご飯作ってるよというと
だいたいすげーってなりますから。
それに味を占めて周りに言うようになって
ここ最近は話すのもうまくなって、少し謙遜しながら家事してますというと、
もっと褒められる事に気づき
全然大したもの作ってないです。毎週同じもの作ってますよ。とか
そしたらそれでも十分すごい!って(笑)
自分の活力が空回りしていて余計疲れてた理由に気づけて本当に良かったなと感じます。
まぁたまには褒められたいですけど。
今このブログを読んで頂いた方はきっと最後の一つを譲るタイプの人ですよね。
私は昔からそうです。小さい頃は姉に譲り、今は妻に譲り、
この前なんて餃子を16個焼いたのですが私の口に入ったのは5つでした。(笑)
正直みなさんも優しいのは損をすると感じた経験もあると思います。
なんでこんな引き受けちゃったんだろう、なんで譲ってしまったんだろう。
これからも必ずあると思います。
そんな時に損をしたではなく徳を積んだなと思いましょう。
そして、最後の1つを無理にでも取りに行く人生より、最期の1つを誰かに譲り続ける人生の方が最終的にどうなってるんだろうと興味がありませんか?
どちらにせよおもしろい人生だと私は思います。
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